久坂玄瑞

松下村塾では、高杉と共に双璧と並び称されるほど優秀な人物であった。文久3年、奇兵隊の前身となる光明寺党を結成し、関門海峡を航行する外国船を撃ち払う攘夷戦を実行する。翌年、四国連合艦隊が報復に来襲した時には、京都で政治活動を行っていた。朝廷工作を行うが、8月18日の政変が起き、七卿と共に長州に下野する。その後、真木和泉や来島又兵衛らと共に京都進発をするが、蛤御門の変が起き寺島忠三郎と共に刺し違えて自刃。高杉とは、御殿山の英国公使館焼き討ち、また小塚原に埋葬されていた師・吉田松陰の遺骸を若林(現・世田谷松陰神社)に改葬するなど行動を共にした。

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