山縣狂介(有朋)

久坂玄瑞の紹介で松下村塾に入門。松陰から多大な影響を受け、終生深く畏敬していた。生涯「松陰先生門下生 山縣有朋」と言い続けていたのは有名な話である。教法寺事件で奇兵隊総督を罷免された高杉に代わり奇兵隊軍監としてリーダーとなる。しかし功山寺決起の際の高杉の呼びかけには応じることなく、あくまで慎重派路線を貫いた。その後高杉の決起が成功すると彼に合流し、大田絵堂の戦いでは萩政府軍を相手に死力を尽くして戦い、勝利をもたらした功績は大きい。

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