日柳燕石ゆかりの料亭・松里庵

晋作・うのの隠れ家

琴平の勤王家日柳燕石の子分半助が営んでいた料亭で、燕石が常用していた料亭として知られる。

慶応元年(1865年)4月下旬琴平に入った晋作とおうのはしばらくは呑象楼に匿われていたが、滞在が長引きそうなので金毘羅宮参道脇の松里庵近くの借家に移った。松里庵には密談に使う地下室や街道への抜け穴などが作られていた。

閏5月3日、晋作の行方を追う捕吏が丸亀に上陸し越後屋を襲撃。女主人が捕吏を歓待しているすきに手代が琴平に走っていき急を報じた。燕石は偽装の宴席を設けて、その間に地理に詳しい門人の古市麦舟を先導役に立てて晋作とおうのを琴平から逃がした。
麦舟は三豊から伊予川之江へ案内し、一泊。翌朝二人は長州に戻った。

晋作を逃がした後、燕石は晋作を匿った罪で捕縛される。
明治元年(1868年)出獄すると、長州で尼となったおうのと会い、病に倒れた晋作を偲んで詩を読んでいる。

故人は鬼となり 美人は尼となる 浮世の変遷 真に悲しむべし

(記述:長田祐子)

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