金刀比羅宮

おうのと一緒に参詣したこんぴらさん

金毘羅大権現とも称され、古くから「さぬきのこんぴらさん」と親しまれている海の神様。
御本宮まで785段、奥社まで1368段の長い石の参道が有名。
江戸時代、「お伊勢参り」と並び「こんぴら参り」が全国的に大流行した。

慶応元年(1865年)馬関戦争敗北後、長崎のグラバーの意見を容れて馬関開港を企図した高杉晋作・伊藤博文・井上聞多の3人は馬関を萩本藩の直轄地にしようとして、支藩の長府と清末藩士の反感を買った。身の危険を感じた3人は亡命を決意。伊藤は対馬、井上は別府、そして晋作は愛妾おうのと下僕の民蔵を連れて逃避行の旅に出た。
晋作は「備後屋助一郎」と変名し、いったん大阪に逃れる。そこから伊予道後温泉へ入り7日間滞在後、多度津に入港。丸亀を経て4月末頃琴平に入り金毘羅宮を参拝する。

晋作にとっては2度目の参拝となる。
1度目は万延元年(1960年)5月3日、海軍蒸気科修行のため江戸に行く途中に立ち寄り参拝している。

(記述:長田祐子)

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