野村望東尼
筑前(福岡)藩で有名な勤王の女流歌人であった。彼女が住む平尾山荘には多くの勤王の志士達が行き来し、彼女に庇護を求めた。次第に政治に興味を持つようになった望東尼は元治元年(1864)筑前に亡命してきた高杉を匿う。わずか10日間の滞在の後に、高杉は自分が不在の長州の実情を知って下関に戻ることを決める。高杉を匿ったことでその罪を問われ、望東尼は糸島沖の姫島に遠島となるが、それを知った高杉は救出部隊を整え、無事島抜けを成功させる。下関に迎えられた望東尼は、すでに重篤な病に冒されていた高杉を死ぬまで看病し、その後自らも長州でその生涯を終えた。