周布政之助

吉田松陰の理解者でもあり、高杉晋作のよき理解者として、若手志士からの信望が厚かった。村田清風の志を受けて藩財政の立て直しに尽力したが、保守派の反対のため辞職をする。その後も長井雅楽の航海遠略策を阻止しようとしたが失敗。逼塞を命じられたり、前土佐藩主・山内容堂を誹謗して謹慎となり、麻田公輔と変名した。酒に酔って馬でのりつけるという大罪を犯しながら野山獄に入牢中の晋作を励ましたことは、有名。蛤御門の変以降、諸々の状況に責任を感じ、自殺。

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毛利元徳