伊藤俊輔(のちの伊藤博文)

幼くして萩に移り,17歳の時に松下村塾に入る。松陰が「周旋家になりそうな」と述べたのは有名。桂小五郎や高杉晋作に従い、尊王攘夷運動に参加した。23歳の時に、長州ファイブの一員として英国に留学。しかし、下関に英米仏蘭の四国連合艦隊が攘夷戦争の報復に来ると知り、1年経たずして井上聞多と急遽帰国した。敗戦の講和談判の際には、井上と共に長州側の通訳として高杉に同席。功山寺決起の際には、力士隊を率いて参戦。幕長戦争に際しては、長崎に武器調達に行くなど、倒幕に奔走した。東行庵には「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」の名文句で始まる高杉東行碑銘文がある。常に晋作と死線を共にした伊藤博文の力作で、晋作の生涯と功績がまとめられている。

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