入江九一

文久3年(1863)3月、将軍家茂が上洛して、政局の中心は江戸から京都へと移った。この時期、高杉は何かを起こそうとしていた。「入江九一、高杉晋作、堀真五郎の3名による血盟書」が現存する。晋作は、「初めに予、憤激するところあり、血盟して事を興さんと欲す。諸同志遅義多し」と記している。高杉は何か重大な行動を起こそうと計画したが、同志の反対で中止したことがわかる。血盟に参加したのは入江だけであった。京都で尊王攘夷の活動を行う一方、下関では奇兵隊創設にも協力し、奇兵隊の参謀となる。下関戦争では久坂玄瑞率いる光明寺党の一員となる。元治元年、京都・禁門の変で死去。

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