萩城跡


萩城は慶長9年(1604)「毛利輝元」が指月山麓に築城したことから「指月城」とも呼ばれていた。

明治7年(1874)に天守閣、矢倉などの建物は全て解体される。

現在は石垣と堀の一部だけであるが国の史跡に指定され、平成27年(2015)には世界遺産に登録された。

旧本丸跡には明治に入り「志都岐山神社」が創建されている。祭神は毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳の五柱で、初代から12代までの歴代藩主を祀る。

また13代藩主「毛利敬親」の別邸「花江御殿」に増築し、家臣とともに茶事に託して時勢を論じた茶室「花江茶亭」が明治22年(1890)に園内に移築された。

代々毛利家恩顧の臣であった高杉家で、晋作の父・小忠太は馬廻り役であった。晋作も何度も登城し、一時期は世子の小姓役も務めている。

(記述:槇垰賀之)

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