オランダ商館・出島

高杉が軍艦購入を決めた地

高杉晋作は、渡航先の上海で清が欧米の植民地となりつつある実情や、太平天国の乱を見聞して7月に帰国、日記の『遊清五録』に大きな影響を受けたことを書き記している。
薩摩藩が蒸気船を購入したことを五代から聞いた晋作は、帰国直後長崎でオランダ商館にて蒸気船の購入契約を独断で行うも、藩政府で大問題となり破談に終わる。

晋作の独断は、上海の情勢を観て、とにかく海軍を充実させなければならないという使命感から行動を起こしたものだった。重職・周布政之助だけは、晋作を応援する意見を述べている。

ちなみに、出島は来舶ポルトガル人を居住させるために海中を埋築し、寛永13年(1636)完成した。寛永14年島原の乱が起こり同16年(1639)幕府はポルトガル人を渡航禁止にした。これにより出島は空家となった。そこで寛永18年(1641)平戸のオランダ商館をここに移した。以来、安政の開国まで約220年間、出島は阿蘭陀屋敷(おらんだやしき)と呼ばれた。出島のオランダ商館では、この地を通じて日本とヨーロッパを結ぶ経済・文化の交流がおこなわれ、日本の近代化に果たした功績は大きい。

(記述:原田哲也)

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