上野彦馬撮影局跡


元治2年(1865年)長崎にて、高杉晋作が伊藤博文・三谷国松と一緒に写真に写ったのがここである。

慶応2年(1866年)1月薩長盟約が結ばれた。同年5月、伊藤俊輔とともに薩摩行きを命じられたが中止となった。その寄港地の長崎で、蒸気船「丙寅丸」(オテントサマ丸)を独断で購入している。軍艦「丙寅丸」は3万6千両でと高額であった。

またこの時、上野彦馬撮影局で「有名な椅子に座った写真」を撮り、妻のお雅の求めに応じて写真を送っている。(背が高くない晋作は、それを意識してか、座った写真しか残していない。)

上野撮影局について

文久2年(1862)暮れ。上野家の別荘であり、父俊之丞の化学の実験所でもあった中島川河畔に彦馬は日本最初の商業写真館・上野撮影局を開設した。彦馬はフランス人写真家ロシエに師事したことからフランス系の写真術を苦労の末取得し、プロカメラマンとなった。創業当時の撮影料は銀二分であった。上野撮影局、彦馬はここで高杉晋作、坂本龍馬らを撮影したとされる。小川のほとりの遊歩道の一角の小さなスペースにスタジオカメラと長時間露光の間動かずにいなければいけないモデルが寄り掛かるための台座がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

上野彦馬・維新伝

原田哲也作「上野彦馬・維新伝」
 原田作の「上野彦馬・維新伝」は、晋作、龍馬、慎太郎らが撮影の順番待ちをしている空想図。写真きらいな西郷さんを大久保が追いかけている、屋外光の撮影であった。

(記述:原田哲也)

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