林算九郎

林家は堺から出てきて造り酒屋を営んだ。算九郎自身は宇部の出身で、林家に養子に入った。そして、白石正一郎の息子・東一郎に林家の次女タネが嫁いだ関係で、林家と白石家は親戚となった。高杉は白石家で療養をしていたが、人の出入りが多い白石家ではゆっくり養生もできないという理由から、桜山下の東行庵に移る。しかし、そこはすきま風の吹く祖末な家だったので、慶応3年3月に近くの新地の林家に移る。ここの離れが、高杉晋作終焉の地となった。

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