諸隊の本陣「金麗社」


金麗社は山口県美祢市美東町大田にあり、長州藩の諸隊と萩政府軍の悲しい内戦「大田絵堂戦役」で勝利を挙げた諸隊が本陣を置いた場所である。金麗社を選んだ理由は地形的に有利だったからと言われている。
大田絵堂戦役は、元治2年(1865)1月7日、諸隊の萩軍の陣に奇襲をかけたことで始まった。

最初、諸隊は萩政府軍に追い込まれ苦戦を強いられていた。
そこで山県有朋をはじめとした諸隊の幹部は髻(もとどり)を切り、金麗社に奉納したと言われている。
そんな苦戦続きの本陣金麗社に現れたのが、高杉晋作であった。

「わしとお前は、焼山蔓(かずら)裏は切れても根は切れぬ」

諸隊は高杉の登場で士気が上がり、遂に1月16日改革派の勝利となった。
これには、高杉たち改革派兵士の力だけでなく、大田地区の地元民の炊き出しや差し入れの協力も大きかったことであろう。

この金麗社には、明治維新150年を記念し、境内に「大田・絵堂戦役戦没者顕彰碑」が建てられた。諸隊だけでなく萩政府軍隊士も顕彰されている。
合計 諸隊22名 萩政府軍31名(戦死 諸隊17名 萩政府軍28名・戦傷死 諸隊 5名 萩政府軍 3名)
その他、一対の「奇兵隊寄進灯篭」が金麗社にある。
これは「四境の役・小倉戦争」に勝利し、奇兵隊が小倉延命寺の燈篭を戦利品として持ち帰ったものである。「慶応3年」に寄進したものだが、「慶応」は将軍・徳川慶喜に応じると言って長州では慶応を嫌い「元治4年」と彫られているところも興味深い。

(記述:桐原きよみ)

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