晋作の葬儀が行われた「末富家」
白石正一郎が日記に簡潔に記している。
十四日 朝、林(林算九郎)よりかへる高杉神祭一条、片山と申談示書付遺
十五日 今日高杉の神祭用具悉く此方へ預かり置き候。
これは、晋作の葬儀を白石が執り行う準備についてである。
晋作は亡くなる直前に「吉田へ」と言ったために、吉田清水山に葬
さて、吉田の清水山に葬られる前に葬儀はどこで行われたか、であ
「末富虎次郎日記」によって十六日当日およびその後の様子がわか
四月十六日 晴
谷君神祭も弥今日に相決し八つ時自宅(末富家)著、老御夫婦、御
舎弟御奥、若旦那(東一)従者家来共十人自宅引受に候へども、神 霊御降り、尚出棺、斎等は自宅にて差出し、奇兵隊本陣那珂並に隊 長中其の他来客とも都合十八人、種々の事に付き、石原、赤間、 両小触れ、新庄、芳兵衛、嘉蔵、女中お夏、お藤、新庄娘、 吉兵衛、ゆき、尚平蔵も来り、終日大混雑、暮方出棺、 五つ時葬式相すみ、山県、片山両君は自宅泊り。宿割左の通り
谷神霊並に家内中、奇兵隊本陣隊長中、馬関来客十五人、駕籠の者六人、長府清水、梶山、好義隊 四月十七日 晴
谷御家内中、神霊御墓参、右相済み酒差し出し、奇兵隊よりも本陣中暇乞御出、四つ時出立、御帰萩相成、夫より御本陣の人数にて酒 宴相始まり、隊長中も御出、多人数に相成り申候
晋作の葬式は白石正一郎が神式で取り仕切った。
さてこの吉田に現存する末富家であるが、一部当時のままの家屋である
訪ねる際には、どうぞくれぐれもお静かに。
(記述・亀田 真砂子)
所在地:下関市吉田914(吉田小学校の脇にある旧吉田街道筋に、末富家はある)