桜山招魂社と神社


文久3年(1863)高杉晋作が発案し、元治元年(1864)3月より奇兵隊士によって開墾作業が行われ、殉国の志士たちの魂を祀る日本最初の招魂場が創建された。靖国神社の招魂社の原型と言われている。

中央の吉田松陰の霊標のみ一段高く、両隣の高杉晋作、久坂玄瑞を初め、奇兵隊小者まで、391柱の霊標が身分に関係なく全て同じ高さで並ぶ。奇兵隊の精神を象徴しているかのような光景に胸が熱くなる。

八月十八日の政変により七卿落ちとなった三条実美ら五卿が、元治元年(1864)3月に下関の海防視察の際に招魂場に参拝し、社殿の必要性をといている。
その事蹟を顕彰して、「七卿史跡碑」が社殿登り口石段右手の保存樹シイノキの下に建立された。
六卿のうち、錦小路頼徳は病のため白石邸で療養する身となり、翌月25日に没している。錦小路の霊を山口にて葬ることになり、本人から桜山に祀ってほしいとの希望があり、三条が藩に申し出るが、合祀はかなわなかった。そこで、遺品(烏帽子・狩衣・袴・扇子等)を桜山招魂社におさめ祀るようになった。
三条らにとっても桜山招魂社は思い入れの強い場所である。
この春の参列以降、春季例祭(桜祭)がおこなわれるようになり、それは現在も続いている。

その後、慶應元年(1865)に社殿も完成し、8月の竣工式にて、晋作は漢詩と和歌を残しており、晋作直筆の碑が建立されている。

 弔らわる人に入るべき身なりしに弔う人となるぞはづかし

――晋作の同志に対する熱く切ない想いが窺える。
療養中にもたびたび訪れたという桜山招魂社。晋作の心を垣間見ることのできる聖地ともいえる場所である。

また桜山招魂社の御宝物には、晋作が使用した「愛玩石」や「小硯」、伊藤博文・山縣有朋・木戸孝允らの書などが納められている。これらは当時、本人達が自ら納めたものである。

招魂社の近くには、高杉晋作療養の地、高杉晋作終焉の地、嚴島神社がある。

所在地:下関市上新地町2丁目6 http://www.sakurayamajinja.com

(記述:溝辺悠未)

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