青春交響の塔(あるかぽーと)

青春交響の塔(あるかぽーと)

関門海峡を望む、あるかぽーと。観覧車や遊技施設が建ち並ぶ中に、花崗岩でできた高さ10メートルもある2本の剣の刃先が並び建っている。「青春交響の塔」と呼ばれる石塔。

平成15年(2003)8月20日、高杉晋作の生誕164年の誕生日に合わせ、建てられた。

海から見て左側の石塔に高杉晋作、右側に坂本竜馬のレリーフがはめ込まれ、両者の交友を記念し、製作されたことがわかる。製作者は、東京スカイツリーのデザイン、監修者で知られる澄川喜一氏。

高杉晋作は、中国・上海で購入して持ち帰ったピストルを、龍馬にプレゼントした。龍馬は、慶応2年(1866)1月23日、京都の寺田屋で、伏見奉行所の襲撃を受けた際、そのピストルで応戦し、危機から逃れた。
同年6月17日、高杉晋作がオテント丸で門司から小倉へ向け進攻開始のとき、坂本龍馬は、長崎から回航したユニオン丸(桜島丸)で、援護活動を展開している。
龍馬は、この海戦の様子を「下関海戦図」として記し、高知の姉に送っている。絵図の中に「長州方諸隊小舟にて渡り陸戦す 銃の音ごまをいるように聞こゆ」との書き込みや「(幕府軍が)小倉より攻めると聞いたので、先手を打ってこちらから攻めた」という趣旨の記述もあり、関門海峡での実戦の様子を、細かく描いている。
このとき、坂本龍馬30歳、高杉晋作26歳。両者ともに明治維新の実現を夢に描きながら、関門海峡を舞台に戦った。これもまさに強者どもが夢の跡である。

(記述:安冨静夫/写真:吉岡一生)

所在地・アクセス

所在地:山口県下関市あるかぽーと1

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