備前焼陶像(東行庵清水山)

備前焼陶像(東行庵清水山)

 昭和11年(1936)5月26日、日和山公園に高杉晋作70年祭で銅像が建立され、除幕式が行われた。しかし、昭和18年12月24日。銅像であったために供出され、姿がなくなった。
すると、昭和31年(1956)4月14日、高杉晋作90年祭で、陶像が建立された。備前焼で、作家は伊勢崎陽山。備前焼の理由は、当時の下関は、大洋漁業による南氷洋捕鯨が盛んなときで、役員に備前市出身の有吉京吉という人がいて、その人が伊勢崎陽山窯に発注したことによる。
窯の大きさは長さが15メートル、高さ1,5メートルの壺窯で、煙突を倒したような窯。12日間昼夜、赤松を燃やし続け、1200度まで温度を上げて仕上げる。窯元の庭に設置されている像と、東行庵清水山の像(3分割体)は、同じスタイルながら大小の差があり、日和山の像が最も大きく4分割体で最後の作品。約15パーセントの収縮があり、窯の位置や大きさの検討で、その製作には3年間を要している。長男の満(他界)は、岡山大学を中退し、石を細かく砕く仕事をされ貢献。次男は淳氏で、現在、備前焼の人間国宝である。
東行庵の高杉晋作陶像は、昭和31年11月26日に除幕された。経費は、伊勢崎陽山窯の寄贈による。この陶像は、刀剣の部分などに老朽化が見られたため、令和元年9月、修復作業がされ、当初の姿に復元された。

 台座は、山縣有朋の銅像のために造られたが、昭和18年の供出で姿がなくなったため。その台座が利用されている。

(記述:安冨静夫)

所在地・アクセス

所在地:山口県下関市吉田町1184 東行庵内

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