五代才助
薩摩藩記録奉行の父の元に、天保6年に生まれる。晋作より4歳年上である。文久2年の上海視察の際に、千歳丸の中で二人は出会った。これより以前に上海に渡り、蒸気船一隻購入するなど、当時としては優れた国際感覚の持ち主だった五代とはかなり気が合ったようである。上海から帰国してからの二人はそれぞれであったが、慶応2年4月、長崎の薩摩藩邸で二人は会っている。その時に五代から渡された名刺大の写真が晋作の遺品にある。またその年の10月、下関に来た際に、五代は晋作を見舞っているようで、薩摩藩の桂久武にあてた手紙に、「高杉も此の内より病気にて至極難症に相見え、同人相欠け候はば、馬関にも外に人物今これ無く」と慨嘆する程、五代は晋作を高く評価していた。